財団概要
FOUNDATION

財団概要
FOUNDATION

名称 公益財団法人 三河郷友会
所在地 〒112-0002 東京都文京区小石川5丁目19番37号
寄宿舎設置 明治33年12月10日 本郷区森川町に寄宿舎を設置し、7名の舎生を受け入れる
財団設立 大正11年5月12日 財団法人として認可(平成24年4月1日より公益財団法人へ移行)
URL https://www.mikawagoyukai.net
事業内容
  • 学生会館の運営
  • 在館生の補導
  • その他この法人の目的を達成するために必要な事業

理事長 中村民雄
CHAIRMAN

三河郷友会の育英事業は、明治33年(1900)12月、本郷区森川町(東大赤門前)に7名の舎生を受け入れた時から始まり、明治41年(1908)10月、小石川区大塚窪町(現在地:文京区小石川五丁目)に移転し、寄宿舎が引き継がれました。

大正11年(1922)5月、財団法人として認可され、平成24年4月には公益財団法人へ移行しました。

この間、育英事業の目的は大きく三度変わりましたが、三河郷友会という名称は一貫して変わりません。戦前の「寄宿舎」は三河という地域の期待を一身に背負って上京してきた若者を受け入れる拠点、まさに「郷友会」として機能しました。尾張に比べて小藩分立していた三河が、藩の垣根を越えて一つにまとまるきっかけをつくりました。戦後は、高等教育への進学が急増し、第一次・第二次ベビーブームの受け皿として学生寮を提供するという機能に変化しました。

そして、2010年頃から顕著となる人口減少の中で、新たな男女共同参画社会を構築するため現在の男女併設の「学生会館」へと脱皮してきました。時代の波にのまれ存立が危ぶまれた時でも、OB・OGが中心となって各方面から寄付金を集め、その都度乗り切ってきました。

したがって、これからも三河郷友会にこだわり、先人が築いてきた「independence&cooperation(自立と協同)」の理念を長く維持していきたいと思っています。三代前の亀嶋謙理事長が男女共同参画の学生寮構想を打ち立て、後藤彰彦・前理事長が現在の女子学生会館を竣工させました。この前任者の敷いた路線を受け継ぎ、古くなった男子寮の建て替え、文字どおり男子学生会館を建築するまで頑張りたいと思っています。

ひとり一人の力は小さいかもしれませんが、館生とともにOB・OGが力を合わせることで目的である男女共同参画の学生会館がつくられていくものと思っています。そのためにも、今後ともご支援よろしくお願いします。

館長 酒井崇之
DIRECTOR

昨今、寮生活を経験してきた学生は「協調性がある」「コミュニケーション能力が高い」などの面で評価される傾向があると聞き及んでいます。

まさに当三河郷友会学生会館は長い歴史と伝統に培われた集団生活を通して、「協調性」を育み、「幅広い人間関係」の構築に努め、互いに切磋琢磨することによって「コミュニケーション能力」の向上が図られるという理想の場であります。

当館では在館学生が男女それぞれに学生自治会を組織し、自分たちの生活に関わる多くの事柄について、自分たちで管理・運営しております。

女子館は自治会が組織されてからの歴史はまだ浅く、女子館生はこの数年で生活上のルールづくりに多くの時間と労力を費やしてきました。また、男子館生も女子と共同生活を送るにあたって見なおすべき点について議論し、組織づくりに悩む女子館生の相談にものってきました。この過程においては当然意見のぶつかり合い等もありましたが、その中で既に述べたような「協調性」や「コミュニケーション能力」といった社会に出てから必要になる力も身につけて来たことと思います。

これからも集団生活を送る中では、大小様々な問題にぶつかることもあるでしょう。しかし、それらに向き合い乗り越えることで、卒館後には二十一世紀を担う有用な人財としてこの三河郷友会学生会館を巣立ってくれると信じています。

情報公開
DISCLOSURE

定款

事業計画

2024(令和6)年度

2023(令和5)年度

2022(令和4)年度

決算報告

2023(令和5)年度

2022(令和4)年度

2021(令和3)年度

沿革
HISTORY

明治18年(1885)5月
鋤柄𨫍治の呼びかけで、東京に「三河親睦会」が設けられ、のち「三河郷友会」と改称する。
明治21年(1888)12月
『参河郷友会雑誌』第1号を発行、本格的な活動を開始する。
明治31年(1898)1月
三河各郡長及び有力者、「三河郷友会」東京寄宿舎に関し協議する。
明治34年(1901)4月
本郷区森川町の本多子爵邸に三河郷友会東京支部及び東京寄宿舎を設置する。
初代寮監に中村恭平(東京帝大学生監)氏を招へいする。
明治41年(1908)
旧久留米藩の寄宿舎を買い取り、森川町から現在地に移転(現在地、小石川5丁目19番37号)する。
大正11年(1922)5月
財団法人として正式に認可される。初代理事長に八田郁太郎氏就任する。
昭和23年(1948)5月
漏電により寄宿舎の全棟を消失する。大部分の寮生が知人宅や下宿に移る。
昭和27年(1952)1月
熊谷晧平・清川泰造氏の尽力により、木造二階建て20人収容の寄宿舎(大沢一郎設計)が新築される。
昭和33年(1958)3月
鉄筋4階建て50人収容の学生寮(旧館)が完成する。
昭和39年(1964)4月
百人寮(新館)が完成し、収客人員150人二人部屋の学生寮となる。
昭和48年(1973)8月
寮監監舎跡地に駐車場(26台収容)を建設し、自主財源の確保をはかる。
平成4年(1992)9月
泉育英会(水野東太郎氏設立)の解散にともない、財団の基金の寄付を受ける。
平成12年(2000)11月
創立百周年記念総会を開催し、自主独立方針を確認する(現在に至る)。
平成24年(2012)4月
公益財団法人に移行する。初代理事長に後藤彰彦氏が就任する。
平成26年(2014)11月
女子学生会館竣工式を挙行。これに伴い『三河郷友会学生寮』から『三河郷友会学生会館』へ呼称を変更する。
平成28年(2016)5月
第9代(公益認定後では2代目)理事長に中村民雄氏が就任する。