土佐のジョン万次郎、1841(天保12)年太平洋に出漁中、漂流して鳥島でアメリカの捕鯨船に助けられ、船長の世話でアメリカの教育を受けて帰国し、のち幕府の通訳から開成学校(のちの東京大学)教授となった人物の話はよくご存じでしょう。
三河にもそんな漂流体験をした人物がいました。1813(文化10)年11月4日、千石船督乗丸の沖船頭・重吉他13人は遠州灘で暴風雨に遭い、漂流すること484日、アメリカ・サンタバーバラ沖でようやく救助されました。その後、太平洋を北周りにアラスカ、カムチャッカ、エトロフ島から根室を経て、17年5月に帰ってきました。この重吉は佐久島(旧一色町)の出身で、15歳のとき半田で船乗りになりました。
三河郷友会監事の水野克宣(昭和35年入寮)さんは、船頭・重吉の話を三十数年前に知り合いから聞かされてすっかり虜になり、方々に出かけて資料集めをしてこられました。漂流200年にあたる今年11月、出身地の佐久島で「重吉サミット」を企画しておられます。水野さんが熱く語る船頭・重吉の新聞記事(掲載日:毎日新聞 2013年2月10)をここに添付します。
(私の取材に快く応じてくださった水野さん@三河寮)